目を凝らしても
よくは見えない
耳を澄ましても
聞き取れはしない
通りの向こう
手招きする誰か
踏み出した足元
曖昧に揺れる
掻き分けた薄暮
軽くのしかかる
通りの向こう
待ち受ける誰か
進んでも進んでも
進まない
夢の中のように
願っても願っても
届かない
幻のように
自分自身も
自信ですらも
ぼやけてしまう
黄昏の中
ここにいるのは誰で
あそこで待つのは誰か
今歩いているのは
自分か誰か
佇んでいるのは
誰か自分か
いつまでの暮れない
黄昏た通りの
向こうにいるは誰ぞ
誰そ
迷い込んだ路地裏の
黄昏た通りの店で
見つけたの
とても素敵な取っ手
なんにでも付けられるの
窓にもドアにも心にも
真鍮で
細かい彫金の
花の模様の取っ手
しっくりと手に馴染んだ
滑らかな手触り
数多の人々が
開けて閉めてきた
この取っ手
扉を開ければ
たちまち別の世界へ
窓を開ければ
とたんに別の季節へ
心に付ければ
即座に手に取れる
迷い込んだ路地裏の
黄昏た通りの店で
見つけたの
とても素敵な取っ手
あなたの心を
開けようか
それとも
私の心を
開けようか
闇に呑まれても
知りませんよ
策に溺れても
知りませんよ
あの店の主は言ったけど
信じてるのよ
あなたの心が
私にあると
信じたいのよ
あなたの心が
彼女にないと
とても素敵な取っ手
今
あなたの心に付けた
これはようこそ
いらっしゃい
夢に破れて
恋に疲れて
嘘に怯えて
真に惑って
それでこちらに
おいでになった
時に騙され
現に倒れて
声に凍えて
己に迷って
それでこちらに
お逃げになった
あなたのために
誂えたような
この品を
お買い求めにいらしたか
ここにあるのは
玻璃の箱
水晶の珠と
月の雫
それから
歌姫の声を
象嵌せしめた
類い稀なる
玻璃の箱
大事なものを
中に仕舞えば
何の不安もありませぬ
信ずるものを
収めたならば
何の迷いもありませぬ
さあさ
どうぞ
お持ちなさい
おや
何も見えぬと
お言いになるか
何も無いと
仰せになるか
形無きものに
脅かされて
こちらへきたのは
姿無きものに
慄かされて
逃げてきたのは
紛れもなくあなたでしょうに
どうぞお持ちなさい
見えぬ箱には
見えぬものを
仕舞ってしまえば
無いにも同じ
見えぬ箱でも
見えぬものでも
あると信ずれば
あるのと同じ
大事なものを
失うか否か
それはあなたの心次第
ようこそ
そろそろ
お越しになる頃だと思ってましたよ
これは九十九年を経た布
風もないのにはためく布
とある狐の九つの尾と
地獄に垂らした蜘蛛の糸
朝焼けの綿雲と
夕暮れの絹雲
金の繭と銀の綿
それらから紡がれ
天の川で晒された布
纏えば時間を飛び越えて
老いも若きも意のままに
包めば時空を飛び越えて
あらゆる距離を一跨ぎ
愛しい人の髪の毛を
布に縫いこみ祈るなら
意中にするのも思うまま
憎しい人の名を書いた
紙を織り込み呪うなら
甚振り嬲るも好きなだけ
ただし
お一つご注意を
これなる布はもとより怪異
年月を経てなお怪異
意思を持ちたる布なれば
まずはあなたを乞うでしょう
その魂を欲すでしょう
血肉も心も吸い取って
極上の色になるでしょう
歴史も記憶も掏り取って
天上の艶になるでしょう
御せる自信がおありなら
どうぞお持ちになるといい
おや
新年早々
いらっしゃい
なにをお求めですか
ここには
ないものは
ございません
そう
求めているのは
不安をなくす
そういう品
これは露話
巻貝の砂時計
中に満ちるは
月の涙
滑り落ちる音は
雫の奏でる話
露が齎す囁き
霧の降るさざめき
胸に寄せ
心に充ち
目頭を満たすもの
流れ落ちれば
不安とて
零れて乾いていくでしょう
ただし
お一つご注意を
露とて霧とて雫とて
満ち満ちたなら
溢れます
溢れて流れるものならば
やがて溺れを誘います
己の涙に酔わぬよう
己の悲劇に溺れぬよう
いつしか砂の時計の中に
あなたが沈んでいかぬよう
それでよければ
お持ちなさい
いらっしゃい
最近はどうやら
お困りのお客が多いようだ
冬の夜長を
もてあまして
それでここへ
いらしたのですか
黄昏の通りに
夜の気配は
雲と散り
霧と消え
しかし
あなたの
朝には遠い
こちらにあるのは
美夢と言うお茶
本来ならば
この店で
取り扱う品では
ないけれど
寝る前に飲めば
たちまち楽しい夢の中
世にも美しい夢の中
ただし飲みすぎにはご注意を
毎夜毎晩楽しむならば
夢の毒素が溜まります
楽しい夢は楽しいままに
美しい夢は美しいままに
しかし
現実が混ざります
かつて選ばなかった
その道の先を
夢は見せてくれましょう
それは楽しく美しく
現実の方が間違いのほどに
そしてお目が醒めた時
あなたの世界は褪めまする
それでも良ければ
この冬の夜長
温かいお茶はいかがです
おや
いらっしゃい
今日は
お客の多い日ですね
あなたは何を
お探しですか
いったい何を
お求めですか
蒼い月なら
窓の底
紅い夜なら
玻璃の泡
昏い朝なら
螺鈿の硯
脆い陽射しは
波打つ琥珀
ないものなどは
ございません
これですか
これは破緋と
申します
焔を斬り裂き
光を遮り
命の火さえ
断ち切る刀
恋の炎も
紅蓮の怨みも
全て滅ぼす刀
血の雨や
緋い霧が
瞬時に生まれ
闇に呑まれる
稀代の刀
お求めになりますか
これは貪欲
これは強欲
紅を求めて
緋を乞う
扱いきれねば
あなたもまた
刃の露と消えましょう
それで良ければ
お持ちになって
望む緋を
お斬りなさい
いらっしゃい
おや
ずぶ濡れですね
どこも濡れてなどない
そう仰いますか
いえいえ
濡れておりますよ
黄昏の町ゆえに
あなたを濡らしているものが
雨なのか
赤なのか
判りませんがね
ただ少し
金気臭いようですね
うちの陶器たちが震えております
傘をお貸ししましょうか
それともこちらがいいでしょうか
御覧なさい
これは「濡音」という名の鈴
常は泣くように曇った音で鳴ります
これが澄んだ音を響かせるのは
ただひとつ
己よりも世界が湿る刻のみ
それも粘りつき絡みつくような刻にね
かつてこの鈴を持った者は
妙なる音を聴きたくて
類い稀なる音が欲しくて
最後には
己も黒々と濡れながら
この店の奥で眠っております
あの黒光る鞘の中身とともに
ここにお持ちになりましたよ
どうなさいますか
傘にいたしましょうか
それとも
つてを手繰って
ここまで来たの
つてを頼って
逢いに来たの
細い細い糸
風に揺れる蜘蛛の糸
そんな細い糸を辿って
ここまで来たの
人から人へ
人ならぬ者へ
巡り巡って
ここまで来たの
朝から昼へ
夜さえ越えて
迷い迷って
ここまで来たの
黄昏の街
黄昏の人
訪ね歩いて
ここに来たのよ
つてを辿って
ここまで来たの
過去も未来も
夢も現も
混ざり混ざった
ここに来たくて
過去も未来も
夢も現も
掴み取れない
ここに来たくて
ここの名前は
黄昏通り
迷い迷って
辿り着く街
ここの世界は
黄昏通り
探し探せど
行き着けぬ街
つてを掴んで
ここまで来たの
つてを繋いで
逢いに来たの
望み求める
何かを求めに
欲しいものは如何なるものか
何でも探して差し上げよう
占い予言の類でなくて
此処はそういう店だから
黄昏迫る店内にはただ
姿の朧な店主が一人
心許無い客の言葉に
耳を傾け品を出す
此度の客の求めるものは
此処ではない何処かへの切符
それなら至極簡単なこと
何処でも良いと云うけれど
貴方の行きたい場所へいざなう
此れなる切符を差し上げましょう
現在過去未来
夢幻それとも現
異国外国異世界までも
異郷仙境桃源郷でも
貴方が望む場所まで続く
見えぬ線路を走る汽車
貴方が願う居場所まで届く
見えぬ列車に乗る切符
もちろんひとつ注意事項を
店主は見えぬ笑いで紡ぐ
此れなる切符で乗る汽車は
三日と三晩走り続けて
その間一度でも眠ったならば
求める場所は通り過ぐ
如何なる時に辿り着くかは
貴方の運と気紛れ次第
それでも良ければさあどうぞ
心の底より何処でも良いなら
地獄も奈落も構わぬならば
此れなる切符をさあどうぞ