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心の収まりが付かないので、文字にしてみることにしました。
私の言い分であり、私の都合であり、私自身を擁護する発言ですので、読み進めるに連れて、お気を悪くされる方もおいでだと思います。

以下に書く文章は、『私が書く作品のスタンス』であり、『私が思う作品の捉え方』です。
書き手の思惑と、読み手の思惑が百パーセント同じであるとは限りません。
正反対のものを読み取ることもあるでしょう。
それはそれで、面白いと私も思います。
私自身、書きながら、こういう見方も出来る、ああいう見方も出来る、と、一篇の詩でありながら、さまざまなシチュエイションやストーリーが浮かびます。
それはとても楽しいこと。

だけど、だからこそ、書いたものが意図せず、誰かの心を撃つという危険性があることは分かります。
私は、『優しい』や『癒し』や『和み』ばかりを書きたいわけではないからです。
人の感じ方は千差万別。
私の作品を読んで、気分を害し、傷を抉られ、不快な思いをした、そういうこともあると思います。

そういう時には、仰ってください。
正直に申しますと、非情だと思われるかもしれませんが、よほどのことがない限り、私は一度書いたものを取り消したくはありません。
ですが、そういう方には、心から謝罪させていただきます。
言葉にしてそこに書き記した以上、それは私の責務であり、負うべきものだと思うからです。

けれど、文章に描かれた風景、人物、心情を、全て私の体験だと思って欲しくないのです。
言葉は人格を表すでしょう。性格もそこに介在してきます。
ですが、極論、殺人事件を描く作家が人殺しをしないように、純愛小説の全てが実話でないように、私も作品と同一人物ではないのです。

内容への批判は受けます。
文章に対する謗りも受けます。
言葉に対する詰りも甘んじます。
けれど、そうではない場所への攻撃は痛いのです。

…話がずれました。

これの真下の作品には、ここではありえないほどのコメント数が付いてます。
そこで行われた応酬は見苦しく醜く私という人間の未熟さも今以上に露見したものですが、攻撃対象は、作品に関するものというよりは、どうも私自身であるようです。
もちろん、この方も傷付いたので怒ったのだと思いますが、私だけが閲覧可能なコメントの部分を拝読するに、見当外れの感が否めません。
どうも、埒が明かぬのですが、まあ、これも、文字だけの世界の弊害なのでしょう。

それはさておき、考えてみました。
この、下の作品は、この方の考えるように「きみを置いて自分ひとり歩き出した人物」の物語である、という見方も出来ます(そういう見方だと推察します)
が、「いつまでも二人だけの世界にいられないのだから、お互い歩き出そう」という見方もあると思います。
あるいは、「きみ」が他人ではなく、自分の甘さや弱さであるという見方もあります。
その他にも色んな見方があるでしょう。

読んでくださった方がどう思うか、それは、書き手にはなんともならぬことです。
同時に、読んでくださった方が、書き手の心情を完全に読み取ることもままなりません。
それもまた、楽しいと思えばこそ、私はここにいるのです。

口幅ったいと思います。
私なぞ、まだまだ若輩者です。

ですが、言い訳めいていると思われても、どうしても申し上げたかった。

最後になりますが、私は、それでも今のところ書き続けていくつもりです。
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2006.08.26 Sat l 瞑想迷走 l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

勝手に共感☆スタンス
「…描かれた風景、人物、心情を、全て私の体験だと…」という部分に、
勝手に共感してしまいましたvv

私は無人機の詩を書いたことがありますが、私が飛行機だったわけではありません。
言わばそれは一片の真実や願いを込めたフィクションです。
好きなものや嫌いなものに、昔の自分やもう一人の自分になりきって書いてみたり…
日記をそのまま詩とすることもありますが、事実や実体験とはかけ離れていることは日常的です。
そうすることによって逆に見えてくるものがあると思うなら、自分の気持ちとは正反対のことも唄います。

色んな読み方ができるのが、物語の面白いところですね♪
作品の読み方によって、その作者を好きになったり嫌いになったりするのも、自然なことだと思います。

だけど色々に読める詩を私は好きです。
解釈するよりも、ただ感じたり、想像したり…
(音だけで読んでしまう時もありますが(笑…)
それに、解釈を限定することは難しすぎます…
青い傘を開くと言えば、青い傘なのかもしれないし、空を見上げているのかもしれない(笑…)
言葉一つ、比喩一つとってもわからないですから。
私は自分でもよくわからない詩を無責任に書いていますけど^^;

だけど、そんな曖昧でファンタジーな世界も好きです。
私は『ウィルビー』が大好きなんです☆
完全に解釈ができるなら、それはもう詩でなくてもいいなとも思います。
(念のために詩であり続けてもいいと思います)

それでいて言葉はいつも不謹慎であるかもしれないなと怯えてもいます。
目の前にいる人を褒めたとしても、嫌味に受け取られることだってあるし、
褒められなかった隣の人は寂しく思うこともあるし…
うまく説明できませんが…
それでも唄いたい時は唄わずにいられないんです。
私もまだ歩き始めたばかりなので、歩き続けていこうと思いますvv

2006.08.26 Sat l junsora. URL l 編集
間違っていない
作品をどう取るかは、相手次第です。ブログや、ホームページをどう使うかは、作者側の自由です。
世の中の現実も見たくないものまで垂れ流し状態です。
図書館でも全て、全て好きな本が揃っているわけではありません。楽しみに読んでいるファンより。
2006.08.26 Sat l ダヤン. URL l 編集
こめんと、ありがとうございますv
>junsoraさん
 私も、曖昧なものが大好きです。曖昧である方が、色んな解釈の道が広がりますよね。
 たとえば「青い傘」一つ取っても、どんな青なのか、誰の傘なのか、何を受け止めるのか、何を思うのか、と、たくさんの想像が湧いてきますv

 言葉を使うということは、難しいと思います。でも、言葉を使わずにいるのも難しいこと。私は言葉を使う方の難関さを選択しました。きっと、junsoraさんも。
 
 お互い、歩き続けていきましょうねv

 「ウィルビー」気に入ってくださってありがとうございますv 私も好きな作品なので、嬉しいですv

>ダヤンさん
 誰もかもにとって良い作品、というものを書くことは出来ませんよね。(出来たら私はとっくに作家になってます(笑))
 それでも、書きたいことがあるから、ブログやサイトで綴っているんですよね、みんな。
 楽しみにしてくださって、ありがとうございますv
  
 図書館の比喩、とても納得しました。上手い例えですねvv
2006.08.26 Sat l あーるぐれい. URL l 編集

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